
会計検査院によると、今回のSTAP細胞問題で、会計検査院は1億4495万円の無駄なお金が使われたと発表した。
うち、5324万円が研究費、残りが捏造STAP論文の検証のための費用だそうだ。
http://www.news24.jp/articles/2015/11/06/07314188.html
捏造論文に沿って、STAP細胞を作ってみようという検証実験は国外でも行われたという。
画像は下のサイトから。
http://classroomclipart.com/clipart/Clipart/Science.htm

その費用まで加えるともっと増えるだろう。
また、この論文のために、研究者が浪費した労力は多大なものだし、何よりも理研などの科学者コミュニティーが失った信頼は大きい。
これらのお金と労力が正しい研究に使われていたら、世界の研究はもっと進歩しただろうに。
アメリカの研究不正行為に関する教科書では、科学者コミュニティーに被害を与えるから、研究データのねつ造(falsification)が悪いのだとされている。
もちろん、“研究者としての良心に反している”ことは当然問題なのだろうが、それよりも、不正論文のもたらす結果を重要視する態度に、ジミーは考えさせられた。
昔々、DVの加害者男性を集めた治療プログラムに同席したときに次のようなやりとりを聞いた。
ファシィリテーター:さぁ、今日までのおさらいだ。妻を殴る、暴言を浴びせるるとどうなる?
DV夫A:妻は出て行く。
DV夫B:家族を失う。
DV夫C:友だちを失う。
DV夫D:職を失う。
画像は下のサイトから。
http://www.trendhunter.com/slideshow/domestic-violence-campaigns

“配偶者に暴力を振るうことは彼女らの人間としての尊厳を侵害するのだからやってはいけない。”などというようなやりとりはなかった。
このようなアメリカ流のやり方ではは「規範の内面化」は起こらないし、真の意味での「法の確証」ももたらされないという批判はあろう。だが、このようにもたらされる害悪を考えることによって、misconductを防止できるのなら、それで良いのではないか。
Franz von Lisztが、「刑罰による犯罪者の倫理的改善は必要でない。善良な市民としての改善を目指せば良い。」と説いたのに対して、日本の刑法学者が「教育刑」「道義観念に鞭を入れる」ことを説いたことも思い出す。


うち、5324万円が研究費、残りが捏造STAP論文の検証のための費用だそうだ。
http://www.news24.jp/articles/2015/11/06/07314188.html
捏造論文に沿って、STAP細胞を作ってみようという検証実験は国外でも行われたという。
画像は下のサイトから。
http://classroomclipart.com/clipart/Clipart/Science.htm

その費用まで加えるともっと増えるだろう。
また、この論文のために、研究者が浪費した労力は多大なものだし、何よりも理研などの科学者コミュニティーが失った信頼は大きい。
これらのお金と労力が正しい研究に使われていたら、世界の研究はもっと進歩しただろうに。
アメリカの研究不正行為に関する教科書では、科学者コミュニティーに被害を与えるから、研究データのねつ造(falsification)が悪いのだとされている。
もちろん、“研究者としての良心に反している”ことは当然問題なのだろうが、それよりも、不正論文のもたらす結果を重要視する態度に、ジミーは考えさせられた。
昔々、DVの加害者男性を集めた治療プログラムに同席したときに次のようなやりとりを聞いた。
ファシィリテーター:さぁ、今日までのおさらいだ。妻を殴る、暴言を浴びせるるとどうなる?
DV夫A:妻は出て行く。
DV夫B:家族を失う。
DV夫C:友だちを失う。
DV夫D:職を失う。
画像は下のサイトから。
http://www.trendhunter.com/slideshow/domestic-violence-campaigns

“配偶者に暴力を振るうことは彼女らの人間としての尊厳を侵害するのだからやってはいけない。”などというようなやりとりはなかった。
このようなアメリカ流のやり方ではは「規範の内面化」は起こらないし、真の意味での「法の確証」ももたらされないという批判はあろう。だが、このようにもたらされる害悪を考えることによって、misconductを防止できるのなら、それで良いのではないか。
Franz von Lisztが、「刑罰による犯罪者の倫理的改善は必要でない。善良な市民としての改善を目指せば良い。」と説いたのに対して、日本の刑法学者が「教育刑」「道義観念に鞭を入れる」ことを説いたことも思い出す。



